私の根っこにあった問題と、写真を始める前から向き合ってきた。
必然、写真を始めてからの10数年間も、その問題が私の写真のテーマだった。
しかし、それがある時期に霧散した。
どうしようもなくなってしまった。
根っこがごっそり無くなった。逃げた。
私が逃げるなら、これは私の問題なので、また戻ればなんとかやり直せる。
しかし、根っこが勝手に逃げ出してしまっては、もう私にはどうしようもなかった。
そして私は写真を辞めた。

しかし、数年経つと、私の中に残ってしまっているもの、埋み火というのか、それとも残滓というべきか。
それが少しずつ大きくなる。私を侵食してきた。
だとしても、向き合うべき対象は逃げてしまったので、どうにもこうにも進めなかった。

結局写真に戻ってはきたものの、その根っことは関わりのないものを撮るしかなかった。
諦めながら写真を撮っていた。
写真以外でしか、この根っこと向き合うことは出来ないのかもしれないと。

それでも私にできること、かろうじてできることは写真しかない。
そこで、写真と写真を組み合わせて、もはやそれが写真というのか分からないものを作ろうと思った。
作るというのは言い過ぎかもしれない。

存在するものをぶっ壊したい、優しいと言われるものをそんなことはないと言いたい、冷たいと扱われてしまうものをホンマは温かいのだと代わりに伝えたい、綺麗なものへ何かをぶっかけてやりたい、そういうことなのかもしれない。

嘘くさくなるだろうと思いながら組み合わせていったら、思いの外、というよりかなりフィットした。
フィットしたのは写真と写真がというより、その組み合わさった写真が、最初に書いたように私の中にずっと残ってしまっているものとフィットしたのだと思う。
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